スパリゾートハワイアンズとは?
福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」と言えば、2006年に公開された映画「フラガール」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
それまで町を支えていた炭鉱が昭和40年代に入り閉山への流れとなり、炭鉱労働者やその家族の雇用を創出するために、常磐湯本の豊富な温泉水を利用し、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だったハワイをテーマにした施設を作っちゃった、という嘘のような本当の話。
日本で最初のテーマパークと言ってもいいのが、1966年(昭和41年)にオープンした「常磐ハワイアンセンター」今の「スパリゾートハワイアンズ」です。
映画の中でも紹介されていましたが、フラガールの1期生たちは宣伝のため全国をキャラバンとしてまわり各地のステージで踊っていました。
試練が続くフラガール
そして2011年3月11日に発生した東日本大震災。ハワイアンズは文字通り壊滅的な被害を受け、踊る場所を失ったフラガールたちは1期生以来となるキャラバンをおこない、わずか4カ月で全国125カ所、247公演をおこなったのでした。
閉山した炭鉱からも、東日本大震災からも立ち上がった復興のシンボルと言っていいフラガール。
しかし更なる試練となったのが、世界中にまん延した新型コロナウィルスです。政府対策本部の「緊急事態宣言」の発令を受けてハワイアンズも全館休館になり、またしてもフラガールは踊る場所を失ったのでした。
コロナ禍では無観客のステージで踊り、You Tubeで配信するということもしてくれていたフラガールたち。私も配信を拝見し、コロナ禍のなんとも言えない鬱屈した気分に癒やしをもらった一人です。
コロナ禍でフラガールのキャプテンを勤めたラウレア美咲さん
そんな苦難のコロナ禍でフラガールの第18代キャプテンを勤めていたのがダンサーネーム〝ラウレア美咲さん〝(本名 小室美咲さん)。小室美咲さんは2012年から2023年9月までフラガールとして舞台で踊り、最後の3年間はキャプテンとしてフラガールたちを引っ張ってこられました。
小室美咲さんはダンサー引退後、フラガール出身者としては初となる広報へ異動。現在は広報の小室美咲さんとして、ラジオ番組のパーソナリティ(詳細後述)やニュースリリースの作成などをされています。
今回は広報の小室美咲さんに取材陣6名で独占インタビューをさせていただきましたのでご紹介します。
(今回は取材のためハワイアンズにご負担いただき宿泊しています)
フラガール引退後、広報に異動した小室美咲さんにインタビュー
コロナ禍でのキャプテンって大変だったんではないですか?
皆さんそうおっしゃってくださるんですが、私は全然そんなことなかったです。ショーの配信などもダンサーや営業の方たちが企画してくださったんですよ。
フラガールを辞められるとき、後悔はなかったんですか?
後悔というのはなかったですねぇ。会社に気持ちを伝えたときも、チームのみんなに引退することになったと話したときも、後悔はなかったです。
チームに言った日から引退の日までの間で“チームにはこういうことを残して”とか、“こういうことを教えて”とか考えていました。
自分のことは引退したあとの1週間でどうにかすればいいから、引退まではチームのことで頭がいっぱいだったんです。
引退された直後はどう過ごされていたんですか?
引退を決めてからその日まではずっと仕事のことで頭の中がいっぱいいっぱいだったので、辞めてからはいったん頭から切り離そうと、仕事のことは考えずに東京に遊びに行ったりしてましたね(笑)
フラに関しての未練はなかったんですか?
未練というのはないですね。別に踊りたくないという気持ちではなくて、踊ろうと思えば踊れるくらいの気持ちなんですけど、燃え尽き症候群なのか「踊りたい」という気持ちにはまだなっていないんです。
引退された先輩がたは「絶対に踊りたくなるよ」っておっしゃってましたけど、今のところはないですねぇ。
ダンサーがステージで踊っているのを横で見ていても「すごいなぁ」という目線になっちゃいますね。本当に自分がこのステージで踊っていたなんて考えられないという思うこともあります。
フラガールとしての練習って過酷だったんですか?
通常時期は、お昼のショーのあとに1時間休憩があって2コマの練習があるんです。1つは踊りで、もう1コマはウクレレやハワイの歴史など様々なことを勉強していました。その後、夜のショーを終えて帰るスケジュールです。
でも、昼のショーも夜のショーも年1回内容が変わるんです。その変わる時期、年2回は辛かったですねぇ。
夜のショーが終わったあとに夜練があって0時くらいまでレッスンするんです。ご飯食べずにみんなやってる感じですね。
フラガール引退後に広報になられたのは小室さんが初めてですが、希望されていたんですか
希望を訊かれたときに「自分でできるところなら何でもやります」と言っていました。ただ「将来的には司会やラジオのように言葉で何かを表現する方向に行きたいです」ということも言っていたので、そういうことも配慮頂いて広報を選んでくださったのかなと思います
文章の仕事にも興味があるとどこかで拝見したんですけど
そうですね、今まで体での表現だけで、ラジオも興味はあったんですけど、ラジオは喋るだけでなくそのための原稿も自分で作らなければならないので、そういう意味でも文章を勉強したいと思ってます。
今までは表舞台に立たれていて、今は裏舞台になられ心境の変化とかありましたか
今までは本当にずっと前だったんですけど、今は微妙なラインで、ラジオやハワイアンズが関わっているイベントの司会をやったりしているので、微妙に出て微妙に支えてみたいに複雑な感じです(笑)
でも別の形でステージに寄り添えるのって嬉しいなぁって思っています。
自分の能力で自分が開花するというよりも、自分の能力でダンサーが開花してくれるような存在になりたいなぁって。
広報に異動されて大変だったことありますか
朝早く起きるなんて今までなかったので、それが…(笑)
ダンサーはお昼出勤なんです。お昼のショーから仕事が始まるので、起きるのは9時10時だったんですけど、今は6時7時の世界なんで、始めの頃は慣れなくてダンサーが夜のショーに出る時間(20時30分)頃にベッドに入っていました。
高校卒業してからずっとダンサーだったので、一般社員としての基礎的な知識が全くなかったんですよね。だからコピー機の使い方から勉強してます。
最後にひとことお願いします
いわき市は東北の中でもいちばん暖かくて、その中でも日本のハワイと呼ばれる、このハワイアンズに皆さんで遊びに来ていただければと思います。プールに温泉に、そしてショー。一日ご満足いただけるハワイアンズです。ぜひいらしてください。
小室美咲さんおすすめのハワイアンズの楽しみ方
そんな小室美咲さんがおすすめするハワイアンズの楽しみ方はこちらのページに別記事としてご紹介させていただきました。
(編集後記)
何十人というフラガールを引っ張ってこられたキャプテンってどんな方だろう、とお会いするまでいろんな想像をめぐらせていました。
実際にお会いした小室さんは、可憐で可愛らしく、それでいながら太い芯が通った方。「広報としてまだまだ初心者です」とおっしゃりながら、よどみなく話されるお姿はベテランでした。
そして話される言葉が美しい!私は仕事柄いろいろな人とお会いするんですけど、敬語や丁寧語を綺麗に話される方って実は少ないんですよね。でも小室さんは本当に綺麗な言葉を話されていました。
これは1カ月や一年でどうこう身につくものでもないので、小室さんの今までの人生が現れているんだろうと思っています。
ちなみにホテル間にある入館証をかざして通るゲートでの「アロ~ハ~」という声や、ショーでの影アナ(場内アナウンス)も小室さんの声ですよ。皆さん意識して聞いてくださいね。
人懐っこい笑顔で話される小室さん、もっともっとお話ししたかった!
とは言え、貴重なお時間をたくさんいただきありがとうございました。
大好きなハワイアンズでしたが、小室さんとお会いしてますます好きになりました。小室さんのラジオ、遠くからですが聴かせていただきます!
小室美咲さんがパーソナリティを勤めるラジオ番組詳細
Hau' Oli♪ ハワイアンズ
放送局:FMいわき 76.2MHz
放送日:毎月第4月曜日 午後2時30分から
ラジオがなくても、市外からでもパソコンやスマホで聴くことができます。
ーパソコン
FMいわきのホームページから「FMいわきを聴く」のバナーをクリック
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※今回は夜遅くと早朝の撮影取材があったため、ハワイアンズのご負担で宿泊させていただきました。
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